
ひさびさにトンネルネタです。煉瓦隧道です。
でも謎の文字が・・・。
JR山陰本線の旧前山トンネルです。
去年、家族でこの近くにある「スプリングス日吉」に行く途中、
巨大なトラス橋の脇に廃橋台を発見。
それ以来、探索の機会をうかがってました。

これは昭和50年に撮影された、船岡駅近辺の航空写真です。
(国土情報ウェブマッピングシステムより)
大堰川(桂川)が大きく蛇行しているところをショートカットするのが
前山トンネルです。
新旧トンネル切り替えが昭和62年とのことですから、
(廃線隧道のホームページ様
http://haisentn.s78.xrea.com/index.htmlより)
この写真では旧トンネル、旧橋が写っていることになります。
なお、この区間は明治43年開通とのことです。
この日の探索は船岡駅よりも南の八木駅から始めました。
実は八木駅の近くにある「大堰橋」(近代土木遺産ランクB)も狙っていたのですが、
良いアングルが探せず断念。
桂川を渡って、県道25号を船岡方向へ走ります。
大部分は片側1車線ですが、
集落の中は1.5車線以下。街道の名残の雰囲気があります。

集落を抜け、再び桂川が寄り添って来るあたりに新庄発電所があります。

手前に白く見えるのは発電所の放流水です。ちょっと古そうな水管のつり橋が見えます。
対岸まで送水しているのでしょうか。古びたコンクリートの主塔がいい感じです。
もう少し走って桂川を右岸に渡ると、船岡です。
船岡駅の集落の外れに墳丘がありました。


「一石一字経墳」の石碑があり、祠もあります。
キチンと草刈がなされ、手入れされているようです。
頂上には鐘楼があり、今時めずらしくちゃんと鐘も釣ってあります。
「一石一字経墳」とは、ひとつの石にひとつ、または複数の経字を書き、
経文全ての石を揃えて塚の中に埋めたものだそうです。
全部で約7万字。途方もない数です。
江戸時代ぐらいに盛んだったようですが、
この墳丘については、石碑を見ても年代が分かりませんでした。
経文を書くことで当時の人は、何を願ったのでしょうか。
それを知るすべはありませんが、
この付近が、桂川の蛇行部直後のわずかな平地であることから、
水害の無いことを願ったのではないでしょうか。

経墳を過ぎると、いよいよ桂川の蛇行部分に入ります。
集落の出口に当たるためでしょうか、
朽ちかけた白看板が立っています。

すぐ先には「第2大堰川橋梁」があります。
煉瓦積みの石張り楕円橋脚が歴史を感じさせます。
橋自体は新しいものですが、
橋脚の大きさ、また中間に橋脚が無いことから判断して、
旧橋も同じサイズだったのでしょう。見てみたかったものです。

橋の手前の踏み切りから振り返ると、煉瓦隧道があります。
(船岡山隧道、写真は踏切から撮影)
純粋な煉瓦隧道ではなく、側壁部が石積みになっていることが分かります。
右は、近くにあった三角点の表示板。初めてみました。
でもなぜこんなところに?
この先、県道番号は19号に変わります。
桂川に沿って走るのは変わりません。
しばらく行くと、これもひときわ大きい鉄橋が見えてきます。
第1大堰川橋梁です。

支間100mくらい?のワーレントラス橋です。1スパンで大堰川を跨いでいます。
左側は山ですので、すぐにトンネルなのでしょう。
橋のすぐわきに・・・

古い橋台があり、やはり川を跨いで山の斜面を目指そうとしていますが、
どうやら今のトンネルとは違う場所を目指していたようです。
これは旧トンネルの期待大。

ということで、矢印の先を丹念に探すと、藪の中の結構高い位置に橋台がありました。
今回は正月に探索したので、まだましでしたが、
夏場は発見困難でしょう。

脇の斜面をガシガシ上がると、

ターンバックルでしょうか?バラストも落ちています。

きれいな煉瓦隧道が残っていました。
つい最近なのでしょうか、坑口は真新しいコンクリートでふさがれています。
ふさがれてはいても、やはり煉瓦隧道との出会いはうれしいものです。
笠石、帯石もあり、また、煉瓦の欠損も無く、端正な印象を受けます。
近辺の煉瓦隧道と同様に、扁額はありません。
かつて、たくさんの車両が通り過ぎたであろう足元の古レールもまた、良い雰囲気です。

振り返って対岸の橋台を臨みます。
線路の真ん中に育った木が、廃止されてからの歳月を物語りますが、
こうしてみると、今でも向こうから列車がやってきそうな雰囲気です。

犬釘が使われています。この下には本当に「枕木」があるのでしょう。

再び坑門を見てみましょう。
「11」は京都から数えて11番目のトンネルを表しているのでしょう。
アーチ部分は4重巻き。標準的な巻厚です。
スプリングラインから下は、つみ方が異なっており、いわゆる化粧迫持となっています。

ピラスターも煉瓦製です。
同じく「11」が表記されています。
その下に・・・「新」前山????これが新前山トンネル?
そのはずはありません。
現在線のトンネルが新前山トンネルです。
ではこれは・・・。「新」の文字もそれなりに古そうですので、
後から誰かが書いたものでもなさそうです。
この煉瓦隧道よりも古いトンネルが存在したということでしょうか。

現場に答えになりそうなものも無く、
反対側の坑口をさがしてやってきました。
奥の斜面にわずかに坑門が見えます。手前には橋台。
橋台の面が傾いており、曲線区間にあることが分かります。
線路面と台座の高低差から、ガーダー橋であったと推定します。
明治末期に曲線区間にガーダー橋を架橋してた?
腑に落ちません。
橋台前後は私有地らしく、立ち入りは難しそうです。
手前を振り返ると、現在線が見えます。


現在線にも煉瓦構造物は未だに現役です※。

ここをくぐると、日吉駅はもうすぐです。


駅舎こそ近代的ですが、ふと町並みに目を向ければ、
街道時代の名残を思わせる建物や、通りが残っています。
今回は、煉瓦隧道を見つけてすっきり帰るはずが、
謎が残ってしまいました。
先ほどの曲線区間の橋台跡は、明治時代の線形としてはちょっと無理を感じます。
もしかしたら、現在線は旧旧トンネルの掘り替えでしょうか。
※のガーダー橋から振り返ってみると、
現在線もトンネルに向かって不自然にS字カーブを描いています。
この斜面のどこかに旧旧トンネルがあるとしたら・・・。
謎のままの方が楽しいかもしれません。
<おまけ>

「新」前山隧道近くに水路トンネルがあります。
コンクリート製ですが、扁額付の立派なものです。
「勝貢隧道」とは、また大そうな名前ですね。
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- 2009/09/06(日) 14:53:06|
- トンネル
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