
これは長野隧道を見に行く途中で見つけた橋です。
ちょっといい雰囲気ですが、
何だか普通の橋ではないような・・・
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2009/01/17
伊賀市大山田支所産業建設課からご回答頂いた内容を掲載しました。
伊賀上野から国道163号を長野峠方面に向かうと、途中から服部川が寄り添ってきます。
最初はのどかな田園風景が広がっていますが、川に寄り添うあたりから平地が少なくなって、
狭い土地に切り開いた田畑が見られるようになります。
そんな景色の中に下阿波の集落があります。
道は川沿いを進み、家々は川を挟んだ両側に並んでいます。
全部で数十戸でしょうか。小ぢんまりとした集落です。
山が迫っていますが、このあたりだけはなだらかで、川の流れもゆるやか。
夏にはホタルが飛び交いそうな雰囲気です。
集落は川を挟んでいるので、両岸を結ぶ橋が何本かかけられています。
その中で目を引くのが写真の橋、瀬古口橋です。
色黒のコンクリート、低い高欄が昭和初期生まれであることを伝えていますが、
何かどっしりとした印象を受けます。

近づいてみると、どっしりとした印象を受ける理由が分かります。
高欄が太いのです。
おかげで橋の上は極端に狭くなっており、私なら軽より大きい車では通りたくありません。
普通、コンクリートの橋は上路(構造部材が道路の下側にある)とし、
床板部を厚くしたりリブを付けたりして強度を確保します。
そうすることで、橋面を広く取ることができます。
でも、この橋をよく観察すると床板は薄く、補強のリブも見当たりません。
どうやって床板の強度を保っているのか?
荷重はどこが負担しているのでしょうか。
あの太い高欄部分でしょうか。
そうすると、下路(構造部材が道路の上側にある)となります。
例えば、箱根駅伝で通る函嶺洞門の先の旭橋など、
RC(鉄筋コンクリート)下路の橋もいくつかありますが、
たいていはPC製で、少なくとも戦後の製作です。
この橋は銘板によれば昭和8年製。
まだこの頃はRC全盛であり、
地方の、しかも小集落の橋にPCが用いられたとは考えにくく、
疑問が残ります。
皆さんはどう考えますか?
いずれ詳細を調べてみたいと思います。
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その後、「道の相談室」に質問したところ、
伊賀市大山田支所産業建設課からご回答を頂きました。
素人の質問に懇切丁寧にご回答いただき、
改めてこの場を借りて御礼申し上げます。
以下にご回答いただいた内容を掲載いたします。
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1月9日(金)に三重県「道の相談室」にご照会をいただきました、
伊賀市下阿波地内の「瀬古口橋」につきましてご報告をいたします。
当該の橋梁につきましては、近藤様のご観察のとおり
2本の主桁(高欄兼用)の下部を床板で繋いでいる「RC桁下路橋」であり、
幅員が狭小であることから小型車の通行しかできませんが、
地区の生活道路として欠かせない橋梁として利用されており、架け替え等の計画はありません。
概要につきましては下記のとおりですが、
何分架設年次が昭和8年と古く、当時の竣工図等の資料が保存されていませんので、
詳細な構造等はお示しさせていただくことはできませんがご了承ください。
橋梁名: 市道西代八ケ坪(にしんだいはちがつぼ)線
「瀬古口橋」
架設年次: 昭和8年
橋長: 23.9m 幅員: 2.3m 径間数: 2
耐荷荷重: 9t
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- 2009/01/03(土) 08:00:00|
- 橋
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| コメント:2
私も昨年秋に旧長野隧道へ行ったとき、この橋が気になりました。もっさりとした重量感と欄干?の曲線がいいマッチをしてますよね。表現主義風です(ホントか?
下流の伊賀盆地は沈下橋の宝庫だとか。回ってみると面白いかも知れません。瀬古田橋の下流にも幾つか沈下橋があって懐かしい光景でした。
遅くなりましたがORJからリンクを張らせていただきました。そのご報告も兼ねて書き込んでみます。
- 2009/01/17(土) 17:52:57 |
- URL |
- nagajis #y/MN7pSg
- [ 編集]
nagajis様
コメント書き込み&リンク設定ありがとうございます。
確かにRC下路は、モーメントを体現するかのような曲線美と重量感が身上ですね。
でもこの橋、厚み(薄さ)230mmの床板で9tまで許すそうです・・・
たまたま別件で伊賀市に行く機会があったのですが、
沈下橋、駅舎、校舎などに見るべきものがあり、
しばらく私の遊び場となりそうです。
今後ともよろしくお願いいたします。
- 2009/01/18(日) 00:27:49 |
- URL |
- かるお #-
- [ 編集]